未来に向けて

自閉症スペクトラム/ADHD 心の整理 自分を分析し理解するためのブログ。

旅番組ってもしかして

芸能人が旅行をしたりいろんな土地をまわる番組、
もしかするとこれは
見る人は同じように旅行をしている気分になるものなのではないか?
と、気づきました。

というより、嬉しい事にその感覚が先日少し感じられました。

例によって以前は
テレビ画面上で人と景色が映っていて旅行をしている
という事実のみしか感じられない残念な把握力でしたが、

実際にその場所が存在して自分もその場を
体験するチャンスがあるという可能性に気がつきました。

新しい場所を訪れる事は苦手なので
行動には繋がらなかったとしても
他人の目線と自分の目線を結びつけられる事で
逆に主体的に生きる事ができるようになる
気がしています。

自分なりに工夫していた

自分が自閉症スペクトラムだとわかる以前から
「自分のこの感覚は何だ?なぜだ?」
と考える癖があり、
その中で発達障害としては典型的な
"急な予定変更に弱い"というのがありました。

弱いという具体的な内容は、
急な予定変更に対して嫌だ、不快だ、納得いかないと感じるものです。

予定が変更になった理由も理解できるし納得出来ている、しかし
それが口頭で説明されるとどうしても感覚として不快であり、納得がいかない、と感じ苦痛でした。

そこで自分が偶然発見した対処法が

元々決まっていたの予定を紙に書き、
それにバツ印をして
新しい予定を書き込み
それを目に焼き付ける

これだけで、すっと苦痛が消えていき、

目で理解する事と耳で理解する事が
あまりに違う感覚として身体に入ってくるので
当時とても驚いていました。

細かいスケジュール帳を人に笑われた後は
その方法をやめていましたが、
その方向性で合っていたことがわかり
再チャレンジ中の対処法です。

過去とどう付き合うか

自分にとって過去とは

振り返って懐かしむもの、よりも
突然表れて引き戻されるものです。

その時自分は
現在の世界が見えなくなっていて
自分自身も当時の自分に戻ってしまっている
と感じます。

衝撃の強い出来事や辛い事ほど
この「自然巻き戻し再生」が繰り返されるので

辛い事をひとつ思い出すと、全く関係の無い
別のトラウマがスライドショー的に頭の中で流れる
事が起きます。

特に、大勢の前でさらし者となった状況は今まで数え切れないほどあり、
似たシチュエーションや場所、その頃と同い年ぐらいの子供や先生を見ると今でもフラッシュバックが起こり涙が出ます。

しかし最近取り組んでいる
「気持ちや感情を言葉にしてみる」練習によって、
今まで映像としてこびりついていた記憶が
少し薄らいだ感覚があり、驚いています。


自分の今の目標は
①自分の事を知る
→自分自身も変化しているという事を忘れず、固定し過ぎない。

②うつなどを起こさない生き方を考える
→過去の辛かった事を過去として考える練習をするためには。
→一人暮らしは体調管理が難しく、寮などの生活の自立について手がかりを探す。

③無理に人の間に適応せず、身近な人に対して自分の考えや感情を伝える練習を行う
→パターンで学習したコミュニケーションは、その場限りの迷惑のかけられない間柄にする。
→口頭でも自分の考えを言う練習をする。

頑張ります。

歩道橋から行き交う車を眺めるのが好き

「車の中には車を運転している人がいる」

少し昔にこの事を理解し、
衝撃を受け感動した事を今でも覚えています。

人が運転しないと車が動かないのは当たり前だとわかるのですが、
自分と同じ人間…もとい、
自分も運転する側になれるという事を
免許取得で身をもって知ったとき、

ただ車が列を成しているだけでも
「すごいな」と感じるようになりました。

中の人々が"交通ルール"という
共通認識を知っていて
それを自分も共有出来ている事に嬉しく感じます。

自分は
考えや感情が伝わる感覚に苦痛があるため、
コミュニケーション全般に八方塞がり感がありましたが
車同士のコミュニケーションは
なぜかはじめから出来る!と感じましたし
楽しさ、感動が常にあります。

この状態が対面・対人でもあれば…と悔しさがあります。

しかし楽しめる事を見つけられたので
安全運転に気をつけつつ
車からさらに興味を広げられたらいいなと今は思います。

その場にあった光の調節

今もたまに失敗する事ですが

何のために電気をつけるのか?
がわかりにくい話


昔から部屋の電気を消し忘れる事が多かったので
よく「電気を消せ」と言われながら過ごしてきました。

注意力も弱いため
消すという習慣がなかなか身につかない子供時代でしたが
消せるようになった後は
「電気をつけろ」と言われる事が多くなってきました。

本を読む時や捜し物をする時
まわりが暗いから明るくして見やすくしよう、
と気づければいいのですが

暗い事、見えずらい事にも気づいていないことがよくあり、
電気がついていれば消す、という習慣だけ出来上がってしまいました。

「消せ」…
電気代もかかる、環境にも悪いし人がいない時は消す
「つけろ」…
明かりがないと見えずらい、生活しずらい時、人がいる時は電気をつける

この事を理解するのに長い事かかりました。
その場に合った光の調節が難しかった。

一度習慣化してしまうと変えるのが苦痛で、
人に注意される度に
以前はずっと消すように言ってたのに…と
傍から見ると屁理屈のような思考に陥っていました。

そもそも環境に対して自分がどう感じているのかを
認識できないと理解できない事で、
20を超えてからも曖昧なままでした。

自己モニタリング力はここ最近成長したと感じます。
ただ無意識で電気の調節が出来る事が多くなったというだけですが
少し感動しながら生活しています。

想像力にも種類がある

自閉症スペクトラムと診断されてから半年が経ちました。
卒業は8割確定しましたが、
将来の仕事や今後どうしていくかは何も決まっていません。

支援室の方にも質問を受けました。

憧れる人や目標とする生き方があるか?

あればその心に従って生きていくのが
「その人らしい生き方」になるのだと考えます。

衣食住や会話の問題は自分にとって
永遠に八方塞がりのままの問題だと思っていましたが
半年で10年分ぐらいの変化(自分比)があったので
その先を考える余裕を持てる可能性が出てきました。

憧れも感覚としてはまだ理解出来ていない感情です。
他人を見て"すごい"と思う事があっても
自分にその立場を当てはめてみたり
真似をしてみたりしようとは
自発的に思いつきません。

教科書で学習する「人のライフステージ」を
自分に適応して想像するという事も
支援の方に言われるまでやった事がありませんでした。

しかしライフステージを考えた生き方とは…?

想像力のなさだと理解していても
実践となると難しいのが現状です。

動いている電車の10秒後の位置を予測したり
昔行ったデパートをイメージの中で探索する
視覚的な想像力とは全く異なる想像力

とはちゃんと理解しているつもりですが…

母子手帳への怒り

唐突に自分の母子手帳で○がついていない所を
抜き出してみました。

帝王切開
・寝返りをしない
・ハイハイをしない
・バイバイ、コンニチハなどの身振りをしない
・友達とごっこ遊びをしない
・思い出して絵を描かない

案外少ないように感じますが、
この頃(2~5歳)の記憶では
出来ない→教えられる→出来ない

表面上出来たように見える→母親が丸をつける
という事を繰り返していました。
○がつかないと母が負の感情をぶつけてくるため
この人は自分に何をして欲しいと思ってるのか?
とずっと考えていました。
勉強をするような思考回路で補い
それでも出来なかったのが上の項目だと思います。

改善できたから大丈夫なんでしょうか。
表面上同じように振る舞えたら問題がないと
いえるのでしょうか。

ハイハイをしなかった理由を覚えています。
這って移動するという発想がなく
這う必要性も感じなかったからです。

逆に人はどうしてハイハイをできたのか覚えているのでしょうか。
母から母子手帳で検査を受ける度に
自分の脳にはそこに必要なプログラムが
欠けているとしか思えませんでした。

母に対して少し怒りがあります。
最近の自分の気分が変わりやすいので
ただの一過性のものだと思います。

小学生~高校生で何度家出をしても
何も言わず次の日はいつも通りでした。
自傷にも気づいていて何も言わなかったそうです。

私自身が言葉で伝えることに困難があったので
大学で診断がつく結果になったのは当然だと
思っています。

怒りは母親分離の感情…と割り切ります。

感情が増えると疲れる事が多く
最近副作用もあるので漢方薬を変えてみようと思います。